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「向上心」 「本物志向」 「探求心」を磨け

まず初めに、自分の趣味で理想とする
『目指すゴールを設定 !!』

 仕事のストレスを解消する為に、現実逃避できる場が「趣味の世界」。ストレス解消の為の「趣味の世界」で、また別のストレスを無意識に作り出してしまう人が多い。いったい何の為の趣味なのか? それに気付いていない人が哀れである。 
 趣味とは、一人になって篭る事が出来る休息の場である。頭の中から 「日々の思考や雑念を消し去り、現実の嫌な出来事を忘れさせる場所」 が健康維持のためにも大切である。
 大人の社会人として、他人の趣味やセンスに揶揄したり否定するものではないが、「もう車趣味を捨てなよ」と言いたくなる人も少なくない。

 この文章に目を通す人々は、車に興味を持ち特別な「車・趣味人」を自負するマニアックな人々だと思うが、他人と違ったモノを愛し、他人より深い部分まで追求する精神を養って欲しい。そして、追求すべき趣味の世界で「目指すゴール」を設定する事が第一歩である。

 ただ「車が好き」と言う人も居るだろう。なぜ好きになったか? 車に魅せられたキッカケは何だったか? 車を所有し維持する時には人それぞれに方向が違うはずなのだが、類は友を呼ぶ。長い人生のワンシーンでたった一台の車を介して、一過性の出会いを作り刺激しあう事が多い。
 でも、それは中途半端な車/手に負えない程度の悪い車を 「購入しない/所有しない」 と言う前提条件がある事を忘れないで欲しい。後述するが、カタログ・スペックの車を希望する人間が、エンジンを積み替えた車や改造された車、ボディ/シャシーの腐った車を購入してカタログ・スペックに復元する位なら、最初から無改造のコンディションの良い車を購入しなければカネが掛かってどうする事も出来なくなるからである。
 100万の車に900万投入しても1000万のプライスが付くコンディションの車には見劣りするし、明らかに不自然な車になってしまうのである。それは、程度の良い車と2台を一緒に並べてみれば、明らかに佇まいが異なり風格が違う。


「向上心」を高めよう

 愛車を僅かな休日にガレージから引っ張り出して走らせる生活環境に恵まれ、気ままに走りに行くのが一般的である。
 その趣味に向き合う車に関する思い入れにはレベル差があり、趣味の深さも違う。趣味に対する気位の高さ、行動力も違うのだ。心奪われた車との出会いは人それぞれである。情報入手の方法、経路は種々雑多であるが、心を虜にした車に対する情報を集め、仲間同士の集まりにウンチクを披露する「マニア振り」を誇示する人も多い筈である。
 
 知ったかぶりや無責任な批評をする輩が出没するので深入りはお勧めしないが、同好の士が集まるミィーティング参加なら、色々な車を見比べる事が出来る絶好のチャンスでもある。比較の対照が多ければ、純正部品か否か? 詳細が分らなくなってしまった箇所を勉強し、自分の目を養う事が出来る。
 しかし、そこで入手する情報は、ガセネタも多いので手放しで信用し、知識として吸収するのは危険である。例えば、会話の中での専門用語や部品名に正しい知識を身に付けておかないと、相手に要件が伝わり難いどころか、知識不足を見下されてしまう事もあるので、分らない時にはスグに尋ねて詳細を聞く姿勢も必要である。
 世間一般に間違った使われ方をする一例として、ステアリングの直径を表す時の表現がある。簡単に「p (センチメートル)」で現すが、正確には「o (ミリメートル)」で表す場合が多い。外径が40pなら、400φと表記されるが、いつ誰が使い始めたのか分らないが、40パイとか、40πと言う意味不明な表現をする人がいる。U.S.A.等のインチ表示の国でも、400oはそのまま通用する。
   *注「φ (ファイ)」は工業系の用語としてミリメートル表記での円形(丸)を現している。
 世界で通用する規格表現は、正しい知識として記憶しておく必要が有るが、近年の日本では従来の単位から国際規格への統一があり、私が学校で勉強した時には、s・mだった締付けトルクの表示が、いつしかニュートン・メートル(N・m)に変わっており驚いたこともある。昔の古いトルクレンチなどを使っていると、単位の換算と言う厄介な仕事も加味されてしまう時代である。

 本を読む際には、記事を執筆した編集者やライターなどの記述に注意する必要も有る。本を読む時、信頼できる内容かどうか? を判断する一つに、他のレポートから引用して自分の知識である様に見せる「盗用能力」で収入を得ている執筆者も存在し、活字体に置き換えられた情報に注意してみるべきであろう。
 色々な情報が氾濫している時代である、一度参考程度に記憶して、裏付け検証をして正否を確認した後に自身の知識として取り込む様にしないと、他人に情報提供した時に恥をかいてしまう。


 車趣味の所有スタイルは2パターンある。 『カタログ・スペックに執着する』オリジナル派、『自分なりのカスタマイズ(改造を含む)』チューニング派である。
 前者は、メーカーが作った発売当時の「新車カタログ」に近付けると言うゴールが明確に見えるが、カスタマイズや改造の道にはまり込む後者にはゴールが見えない。行きつけショップが得意とするお仕着せや雑誌編集者が書いたレポートに惑わされ、他人のフンドシを纏う主体性に欠けるエンドレスの旅が続くのを覚悟する必要が有る。

 ゴールの見える/見えないに関係なく、自分でカネを払い入手した車に乗って走行する際、人車一体感に乏しい「他人行儀」なギクシャクした運転しか出来ない車では価値が無い。人それぞれに運転技術に差が有り、身長、体重、体形、手足の長さまで、全て個人差が有る。自分の体形に合せて細部を調整し乗り易い車に仕上げ、リズミカルなドライビングが出来る様にしなければ、所有する価値が半減していると考える。

 左足がクラッチペダルを踏んで好みの運転姿勢でシートポジションを決める、バックレストを自分好みの角度にした時にステアリングホイールが回し易いポジションになる人は少ない。ステアリングホイールとシフトノブの位置がベストポジションと言う人も少ないと思う。それだけ個人差や個人のクセが存在する。自分の身体に合わせた車に仕立てるのも車趣味の一つである。

 私の911は一見無改造に見えるが、ステアリング位置が遠かったので手前にオフセットさせ、ショートシフターを組みシフトストロークを短くしたらノブの位置が遠くなった為に、シフトレバーを10センチ長く改造してある。この程度の事でドライビングが格段に変化した。
 世の中には、素晴らしい技術を提供してくれる職人は存在するので、現状の不満を抱える領域から脱皮する事を考えて、オンリーワンの世界を目指すのが車趣味を充実させる一手段でもある。

 他人と違う所有スタイルを模索する気が全く無いなら、それ以上のレベルアップは期待できない。必要としないのであれば向上心の道が閉ざされる。
 自分なりに納得できるレベルまで深く掘り下げて研究する向上心が、充実した趣味への第一歩である。

 カスタマイズ嗜好の車には独自の自己主張が多く見受けられる。例え、ゴールが見えなくても、好きな車にカネを注ぎ込んで楽しんだ趣味性は大いに評価できる。
 車趣味は『自己満足』の世界である。他人が口出しする領域に無い。他人が稼いだカネをどう使おうが勝手であるが、投資する金額に対して、その見返りとも言える 「充実した結果と満足感」 が得られるべきである。
 しかし、個々の車に接してみればショップに騙され、その場しのぎで妥協した痕跡がありありと見えたりする。冷静に世の中を見渡し、自身が納得の行く技術に出会えるまで探す「向上心」が大切である。勉強不足による妥協と安物買いの銭失いは避けて貰いたいものだ。


「本物志向」に徹する

 憧れのアイテムを入手にする為、車体購入だけに手持ち資金を全額投入してしまう無理・無謀と言える結果を招いてしまう人が多い。過去何十年間の年月が、素性の分らない他人が所有した車を購入する(購入した)のである。以前の所有者が整備せずに放置したかも知れない箇所を、目前の作動確認だけで判断・信頼し、自分や家族の命を委ねるべきではない。

 米国内で走行していた中古並行輸入車に多く見られるケースで、走れる間は整備しない的な、乗りっぱなしの最悪なコンディションがある。そんな車を購入して、新車から全く整備の痕跡の無いブレーキを疑いもせずに 「古い車ならこんな物だ」 と、独断で決め付け乗ってしまう人も多い。キャリパーピストンが固着しブレーキパッドが磨耗し尽くしてローターと接触した「引き摺り」状態で、長距離旅行の足として走らせていた「車マニア気取り」の人も居た。まさに知らぬが仏状態である。
 自分が興味を引く部分だけ深く追求して「耳年増」的な知識だけ吸収するが、ブレーキと言う自分の命を左右する部分には全く無関心で興味が無い人も自称「車趣味人」である。
 ある時、前を走ってる車が信号で急停止した為、追突しそうになって「急ブレーキを踏んだら尻を振った」と言う電話を貰った。どうして? と聞かれて返事に困った。中古車を購入してから全く整備していない車の現状まで把握できないので、ブレーキをオーバーホールすれば治ると回答するしか方法がないのである。

 メーカーの設計/製造時の性能に近いレベルで維持するのが、車趣味の本物志向である。

 マニアックな車の取引は、ほとんどが売買取引時点で「現状渡し」である。車両本体価格を手持ち資金のほぼ全額を投入、又は、背伸びして購入する人が多い、乗り始めの整備に投資できる余裕が無いのだ。中古車には車代と最低限の安全確保の為の整備代金が必要である。私はそれを合わせて「乗り出し価格」と説明するのだが、全く聞く耳を持たない人間も多く居て困ってしまう。

 確かに憧れのアイテムを購入して夢の実現では有るが、憧れの「実物」を入手した時点から更なる一歩が踏出せない。本物を購入した『本物嗜好?』には違いないが、まるで新車を購入した気分に浸っているとしか理解できない。
 新品の性能からかけ離れた状態をいかに新品に近くするか? 『本物志向』にする為には、退化・劣化した箇所に対して復元投資にベストを尽くす必要が有る事を忘れないで貰いたい。

 車好きのお客様から連絡を貰って、少しいじられてオリジナルと違うのを承知して購入した車をレストアしたい旨の相談を受けた事がある。そんな時の回答として、今風の対応策を披露した。「良く見掛ける雑誌掲載の画像と同じ形にしておきなさい。」そう言っておいた。
 メーカーが出荷した新車の装備に執着して車を作っても、近年その車に興味を持ち購入してた人達から見れば「本物」を見抜く眼力が育っていないので、高価な部品代を投入して車を仕上げたところで「贋作」として見られてしまう。それならば、良く見る写真を拡大して、それと同じ形に仕上げておけば誰も疑う事をしない、と言うのが私の理論である。これが今風の「本物」である。

 車趣味は自己満足の世界、ナルシストである。ある業者の話で、やっと購入できた車を見て判断して欲しいと、その業者を訪ねたそうである。オーナーは満足げに、オリジナルと思い込んでいたそうで、業者の対応は私同様に「客の機嫌を損ねない」接し方をするのが礼儀であるが、話の成り行きで本来の姿を知りたくなり、気を悪くしないから真実を教えて欲しいと言ったそうである。
 仕方なく業者は、アレとコレ、ココ、と順に両手に届く箇所を教えたそうで、すっかり機嫌を悪くして怒って帰って行ったそうだ。何に腹を立てたのか? 立場が違うので分らない。業者が伝えた真実が機嫌を損ねたのであれば、その車を購入する際に見抜く力量を付けなかった自身の力量不足に腹を立てるべきだろう。

 どんな車であれ、新車製造時に量産された部品が一番素晴らしい仕上がりである。二度三度と作り直されるに従って品質は低下する。その部品を見て「新車時の部品」を見抜ける「本物を見る眼力」が良いコンディションに復元できる要素である。
 ポルシェに関して言えば、67年911Sから革巻きステアリングを採用した。当時のドイツは徒弟制度(マイスター)であり、熟練職人がステアリングを革巻き加工して、素晴らしい品質のステアリングを出荷していた。新車当時の話である。
 20年後の80年代後半に、一度製造を停止したステアリングが再生産されたとの情報を得て、購入希望のお客様に了解を取り何本かのステアリングをドイツから取り寄せてガッガリである。
 「こんなモノなら私の方が綺麗に仕上げることが出来る」 それが私の印象で、マイスター制度の崩壊を感じさせる製品が届いたのだ。ポルシェのパーツラベルが貼られ純正のパッケージがある為に、粗悪なものでも販売は出来るが、カリスマ性は地に落ちた。ちょうどポルシェ社が倒産しそうだ、と囁かれていた時代である。
 ステアリング・ホイールの品質もシフトノブのシフトパターンのメッキ部の処理も後年の補給部品は明らかに品質が悪い。エンジンフード上のP・O・R・S・C・H・Eのアルファベット・ロゴのメッキも同様である。新車に近い時代の製品の方が品質が良い。部品を観察して品質の比較が出来る眼力を養う事が「本物志向」に通じる。


「探求心」を磨け

 『自分の車は自分で管理せよ』それが私のポリシーである。何年前に実施されたものか? 全く推測できない過去の整備に、自分の命を預けるのは無謀である。事故を起こしてから悔やんでも始まらない。
 人間は神ではない、信頼できるメカニックにもミスはある。何をどうするか? それを計画して、部品を揃えた上でメカニックの技術力を提供して貰うのが原則である。出来る限り自分で管理する様に心掛ければ、些細な異変にも気付く事が出来るし、大事に至る前に対応する様になる筈である。

 古い車でも、要点をとらえた有効な投資により新車時に近い性能まで戻す事は、ボディ以外なら難しい事ではない。ナロー911などは世界中の車の中で一番確実な性能回復が可能な車だと思う。
 ナロー911を製造した頃のポルシェ社は中小企業である。何処のカーメーカーであれ、製造後40年に至る長い年月の使用を想定して作られている車は存在しない。
 防錆対策されない鉄板に防錆塗料を塗布しただけのモノコック構造では、あらゆる隙間にサビと腐食が襲い、強度的な不安が感じられる車も少なくない。
 そんな車を購入してしまったら、時間と手間の掛かる仕事を敬遠する日本の板金屋さんでは、修理したらカネばかり掛かってカネ食い虫になるだけである。
 満足な強度を復元する事は困難で、技術力が有ってもメーカーの生産ラインとは違う。どんな状況であれ新品の素材を溶接し組み立てる場合の強度が最高であり、経年劣化した素材を補強したとしても、その強度は新品素材に勝る事は無いのである。メーカーでの生産管理、溶接設備や電力レベルは最適な環境設定をしており、街中で営業する町工場の設備と比較の対象にはならない。

 ベストな仕事のボディの復元を求めるなら、職人気質の頑固親父を探す事である。偏屈で寡黙な近寄り難い板金職人は、何処の街でも1人や2人存在する。近寄り難い雰囲気は技術の証しで、徹底した職人肌と解釈して貰いたい。そんな頑固オヤジが1人で仕事する板金屋さんへ車を持ち込んで修理を頼むと良い。その頑固オヤジの首をタテに振らせる事が出来たら、そのオヤジの気の済む様に任せておけば信頼できる仕事をしてくれる筈である。しかし、機嫌を損ねない様に心遣いを忘れるべからず。
 仕事を引き受けて貰うことが出来たら、頻繁に頑固オヤジの元へ時間が許す限り何度も通い詰め、作業手順を観察しながら、技術的な作業方法を研究する事が必要である。時には弁当持参で押しかけて行き、作業助手として手伝えば理論も理解出来るし知識も身に付く。

 
 車に関係する全てに対して 「何故」 と言う疑問を持つ事も必要であり、自分の疑問を質問してぶつけてみる事だ。その時にどんな返事が戻って来ても、理解できるまで教えて貰う。それが本物志向に通じる道標である。

 車を構成する些細な部品一つにも、それが使われた理由と作られた理論や製造工程がある。使われている材質の種類にも興味を持って欲しい。
 一般にカーメーカーでは、そのモデルの製造中止後に何十年も使用される事を考えない。磨耗し易い部品を交換しながら10年程度耐用出来れば良いのであり、適度に新車に乗り換えて貰えないと企業として生存できないのである。
 ナロー911/912では、磨耗し易い材質を選択使用している箇所も多い。硬い材質同士を組み合わせる事を避けて、材質に違いを持たせる事により耐久性を高めている箇所もある。

 また、自分なりの思考レベルで疑問を持ってみる、その疑問をその道のプロに尋ねて推測して貰ってみる。私が70年代の車のレプリカ部品製作を受ける時には、発注先に30〜40年前の技術レベルを回想して貰い、その時代の製造方法に近い形で作業を進めて貰う事にしている。
 そんな部分まで近付ける「探求心」を育てる事で、自分の知識がプラスに結び付けば、車趣味の知専門識が多くなり、奥深い趣味に育って行く様になるのである。


 最後に、良い情報、的確で正しい情報は、それなりの投資をしなければ入手できないと理解する事である。無料で入手できる情報は、売上げだけを追求する雑誌等に掲載されている様な曖昧なものである。
 雑誌記事で言えば、新車発売時に取材したリアルタイムの記事に限る。日本人は、活字に置換され印刷された情報には弱く、疑う事無く無防備に信用してしまう国民性があるようだ。それが誤った情報で有っても、正しい情報と判断してしまって受容れてしまいがちで有る。

 新車のレポートであればメーカーよりプレス用の解説や情報提供をされる為、記事を執筆した原稿の誤植や校正ミス程度であるが、製造廃止になって何年もの時間が経過した中古車に関しては、該当する車が発売される直前のレポートか、新車発売時の新車レポート以外は信用しない方が良い。雑誌の編集者やライターが、必ずしも車に精通してる訳でなく、単に職業として仕事を請けるライターも存在する。そんな時には、諸先輩が記した昔の雑誌記事の引用と、使い古した車を体験し適当なアレンジを加えて記事にしているだけである。そんな記事をバイブルと崇拝して車趣味の一部に取り込んでしまったとすれば、悲惨な結果を招くだけである。

良い情報は、無料で入手できると思うな!! いかなる情報でも、それに対する裏付け調査を忘れるな!!


一部追記 Oct. 15, 2010
Oct.. 8, 2010

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