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自分で実行! ポルシェのメンテナンス

1965−1973年の 911と長期間付き合う方法

上級編 [Part 1.]

 ナロー911のオーナー諸氏に問う、所有中の911エンジンに使われているスパークプラグを取外した事があるか?

 スパークプラグの銘柄と品番を調べ、そして焼け具合をチェックすることが必要。

 行き付けのショップがちゃんとしたメンテナンスをしているか? 疑って欲しい。ナロー911時代の純正指定スパークプラグは『BOSCH』である。それがショップのメカの都合により国産スパークプラグへ取り替えられ、そのスパークプラグに合せてエンジン調整されていないだろうか?

 ナロー911の新車は現在には存在しないが、カタログ・スペックの最高出力を意識する人は多いはず。それを意識しない人なら以下の内容は無視して読むのを止めて欲しい。

 空冷フラット6エンジンと言うだけで同じ空冷エンジンのバイクと比較する事が多い。ポルシェの空冷エンジンとバイクの空冷エンジンの違いを考え、スパークプラグの取付けられている位置、晒される環境を考えると見えてくるものが有る。
 911エンジンのスパークプラグはSOHCエンジンでありながら、奥まった空気の流れが全く無い場所で酷使される。バイクの場合には、走行中には冷却効率の優れた風当たりの良い場所にセットされる。これが最大の違いだ。

 仮に、ナロー911エンジンとバイクのエンジンを同サイズのボア×ストローク、同じ圧縮比で設計し、同一の燃焼条件に設定、走行テストする事が可能なら、ポルシェ・エンジンのスパークプラグには、取付け位置やスパークプラグの蓄熱を放熱性の高いスパークプラグ (コールドタイプ) が要求される。
 ナロー911の場合、911Tを除き「圧縮比が9.1:1以上」のモデルなら、スパークプラグに充分な配慮をして欲しい。ポルシェの指定は 『BOSCH』 であり、当時のスパークプラグ表示で言えば 『W250P21』 『W265P21』 のプラチナプラグであり、私の無責任な視点でNGK製プラグ適合を当て嵌めればNGKの8番、9番辺りになる。このアバウトな表記は、BOSCHとNGKではヒートレンジが異なる為に明確な断言が難しい。
 ちなみに当時の箱型スカイライン2000GT-Rは、S20水冷エンジンでNGKプラグのB7ESが指定である。この時代の箱型スカイライン2000GT L20
水冷エンジンの場合にはBP5ESだったと記憶する。70年頃の市販車水冷エンジンの場合5番/6番辺りが標準となるので、空冷エンジンのポルシェでBOSCH以外のプラグを使っていたらヒートレンジに要注意である。


 1980年代半ばBOSCH製スパークプラグ表示が変更され、新旧の表示が930ターボ用の『W280P21』が『W3DP0』へ、69〜73年メカニカルインジェクション車用/67年・68年911S用の『W265P21』が『W3DPU』へ、65年〜68年 130ps用の『W250P21』が『W4DP0』へと変わった。
 しかし、残念ながら90年頃にW3DPUが製造廃止され、それ以降W3DP0がメカニカルインジェクション車用のスパークプラグとして指定になってしまった。
 この選択が適正な処置なのか? 否か? 単純に実践抜きの机上の統合かも知れないが、このW3DP0を取付けてプラグの焼ける状態へエンジン調整をすれば、かなりガスを絞った希薄燃焼気味のセッティングになり、一般道でも焼ける様に良い状態に持って行くには暴走する必要が生じそうだ。

 メカニカルインジェクションを搭載した車には、圧縮比 7.5 : 1の2.4リッター911Tから、圧縮比 9.9 : 1の69年 2リッター911Sまで圧縮比の違いが存在する。この2.4リッター911Tのエンジンに930ターボ用のスパークプラグは酷な話かもしれない。

 適正/不適正なスパークプラグに関わらず、スパークプラグが焼ける様なセッティングは可能である。その際、スパークプラグが綺麗に焼けても、設計値の出力が発揮されるとは限らない。
 純正指定のスパークプラグの使用をやめ、他社のスパークプラグへ取り替える理由が説明できるメカニックなら信頼できるかも知れないが、基本は純正プラグでエンジン調整した後で、社外品のスパークプラグに交換して貰うのが本筋だと考える。

 不適正なスパークプラグを取付けてエンジン調整をされても、エンジン本来のパワーを搾り出す事が出来ない。
  

  メカニカルインジェクション・ポンプ (メカポン) 搭載の911で、正確に調整されている車は50%に満たない。

 キャブレター車の場合、走行中にアクセルペダルから足を離せばエンジンブレーキが働き、エンジンの回転が下がりアイドリングをキープする。メカポンの場合でも同様にアクセルペダルから足が離れた時点でアイドリングの回転を維持することになる。

 キャブとインジェクションの違いは、キャブには加速ポンプが付属し加速時にはガソリンが専用ノズルから噴出し、濃い目のガスにより加速体制になる。メカポンの場合には加速ポンプに相当するシステムは存在しない。
 もう一つ、キャブの場合はアクセルオフに伴いキャブ内のバタフライが閉じると同時に燃料系もアイドリングを維持する体制になる。しかし、メカポンの場合にはアクセルオフしても、走行中のギア選択によるエンジンブレーキでエンジンが回され、スロットルバタフライが閉じてもエンジン回転に関連した燃料噴射が続けられる。

 スロットルバタフライが閉じてシリンダーへ供給される空気は遮断されるが、例えば6000rpmで走行中に前方に障害物を発見し右足がブレーキペダルを踏んだ時、バタフライは閉じたのにガソリンは6000rpm相当分がシリンダーの中へ噴射される事になる。
 この状況で、シリンダー内へ入った多量の生ガスが完全燃焼すれば問題ないが、ミスファイヤーによりエキゾーストパイプやマフラーまで未燃焼のガスが到達すれば、再びアクセルオンした時にアフターファイヤーを発生。マフラー内で燃焼し、ボンボン・パンパンと爆発音を撒き散らして走行する事になる。
 69年 911Sでは、近所迷惑になる様な爆発音は発生しないが、72年以降の911S等は、老人が驚いて腰を抜かしてしまう様な爆発音を発生する事も有る。


 インジェクション車には、スロットルバタフライを閉じた時に、強制的に燃料カットするシステムが装備されている。

 メカポンの場合には、スロットルバタフライが閉じた時に強制的に燃料噴射をカットし、エンジン回転を検知してアイドリングに近い1300rpmで再噴射するステムを構築している。
 このシステムは、1番シリンダー上部に取付けられたマイクロスイッチが、スロットル・リンケージがアクセルオフと同時にスイッチをオンさせ、メカポン本体にあるシャッとオフソレノイドへ通電させて燃料カットするもので至ってシンプルである。
 強制的に燃料カットされれば、エンジンへはアイドリング回転保持の為の僅かな燃料が供給されるだけになるが、専用のコントロールリレーにより 1300rpmで少し濃い目のガソリンを供給してエンジンが停止しない様にしている。

 このシステムが正常に働いている車が少ない。年輩のディーラーメカニックの話に寄れば、そのシステムが故障しててもセッティングするやり方が有るそうだが、私が思うに必要に迫られて構築されたシステムが無用の長物なら、最初から取付ける事はしないと考えている。
 この燃料カットシステムのチェックは簡単に出来るので、行きつけのショップでメカニックにチェックして貰うと良い。万一、メカニックが知らない場合にはエンジン調整の依頼はするな! 調子の良いクルマを不調にされるだけである。
 このシステムが故障している場合にどんな調整法があるのか? 詳細を知らないが、私個人としては、絶対に必要なコントロールシステムだと理解しているので、誤魔化しのセッティングは認めない。車を長く快適に維持する為に正常に働く様に調整する事をお勧めする。

 このシステムの専用のコントロールリレーの金額が昔からかなり高額で、現在はドイツで在庫切れになった。詳細を調べていないが、再生産すれば10万円近い金額になると思われる。マイクロスイッチの金額も中途半端なものでなく市販のスイッチでも流用可能で、市販品なら1000円程度で済む。



シャットオフ・ソレノイドをコントロールするRPMトランスデューサー (RPMリレー)
写真左側 : 機能的に正常な部品  右側 : トランジスタ及び、コンデンサ不良で使用不能
写真右のリレーは、シーメンス製トランジスタ 5個の内2個の頭が脱落、コンデンサのケース皮膜破裂により機能停止


今回入手した30年以上前に製造された輸入品のトランジスタと国産品のフィルムコンデンサー。

国産品のトランジスタでも流用出来そうなものは存在するが、一時凌ぎ的な修理ではエンジンを傷めてしまう事になる為、
単価的に高額な投資をして海外から取り寄せた。これらの電子部品が在庫に有れば修理も可能である
 さて、この機能が正常に働いてない場合の話であるが、7000rpmで走行中にフルブレーキングして、同時にクラッチペダルを踏んでしまえばスピードによるタイヤの回転はエンジンには伝わらず何ら問題が起こらない。しかし、車の安定安全性から見れば危険な状態である。
 要はエンジンブレーキを使わなければ良いのだ。

 エンジンブレーキの時間と車速の関係から長時間のエンジンブレーキや、速度が低くても低いギアでエンジンブレーキを多用することにより、シリンダー内の燃焼温度が変化し、生ガスの濃度にも関係するが、究極の最悪の場合にはピストンリングが折損してエンジンのオーバーホールが必要になると言うケースが考えられる。

 ポルシェは新車当時の最高レベルの技術を金額に関係なく投入している。その為、故障した時の修理費用は中途半端では済まない。近年、メカポンのシステムを熟知したメカニックが減った為に、満足な調整が出来ずにメカポンを捨ててキャブレターに換装してしまうカーショップも多い。
 しっかり考えて欲しいが、メカポンが調整出来ないと言う未熟なメカニックの都合の良い方法に甘んじたら、新車の状態に近い性能に復元する事が不可能になる。
 メカポンを捨て、キャブに変えられたら改造車になる。その時点で、カタログ・スペックの車から大きく後退する事に繋がる。

 メカポンは、一つ一つが高精度の部品で構成されているが、取外され放置されたメカポンはゴミと化す。ちゃんと整備出来るメカニックの手に掛かれば、調子の悪くなる様な、簡単に調子を崩す様な代物ではない。調子が悪くなった車は、技術の未熟なメカニックにより触れてはならないポイントを勝手に弄り回して手に終えなくなって、人為的に作り出されたものなのだ。

 メカポン自体は、製造工程とアジャストはデリケートであるが、簡単に故障するとか壊れる様な代物ではない。

誰も気付いてないのか? 口外されないナロー911/912の肝
速く走らせる為にエンジンより先に確認すべきポイントはココだ!!
1969年〜1973年までの911用メカニカル・インジェクションについて、
インジェクションポンプがセットされているからと言って安心するべからず !!
他モデルのメカ・ポンと取替えられているかも

June 30, 2013


中級編 [Part 7.]

  同年式の911を所有する知人が居るなら、知人の車を運転させて貰え! 自分の車の手入れ不足が認識できる。

    ナロー911を所有するオーナーへ、「調子いいですか?」と聞いた事がある。でも、それは愚問だった。

 以前、電話で問合せを下さったナロー911オーナーに対して「車のコンディションはいいですか?」「調子いいですか?」と聞いた事がある。購入して間もない人なら、口々に「問題ありません」「調子いいです」と言う言葉が100%返ってくる。
 しかし、それは他の911と比較する対象が無く 「返す言葉が無い」 のが事実。

 私は、中古車を購入すれば消耗部品を調べ上げて交換する趣味がある。ラバーブッシュ、プラスチックブッシュ等は特に気になる。前所有者が至れり尽くせりのメンテナンスを施していた車でも、私は交換する。自分の目で確認して交換しておけば、万一のトラブル発生が回避できるし、トラブル発生の際に原因箇所の推測にも繋がるからである。言わばトラブル回避や、出先の立ち往生回避の為の先行投資だ。

 65〜69年の911の場合、クラッチのプレッシャプレートの構造が、国産マニュアル車の構造と同じシステムを採用している為、クラッチのミート・ポイントの感触が左足に感じる事が出来る。
 車をスタートさせる時にはシフトレバーで1速を選び、アイドリング状態を維持したまま左足を床から上げ、タイヤが回転し始めた時にアクセルを踏んで、クラッチミートさせるのが基本である。
 85年頃の話であるが、車検の為にミツワ自動車へ911を入庫させた際に、メカニックに運転して貰い私が同乗した時に驚いた事がある。メカと色んな話をしながらアレコレ質問をしていた。その時いつの間にか車が走り始めていた。クラッチミートの微動も無くエンジン音の変化すら感じない状況で911は加速体制に入っていた。ハーフクラッチのタイミングがほぼゼロでミートしてしまっていた事が驚異だった。さすがミツワのメカと言うテクニックだが、それがポルシェ911を整備する日常茶飯事の操作である。
 それを目の当たりにして、それ以来私のクラッチミートの仕方も変わった様に思う。

 それに比べ70年以降のナロー911のクラッチミートは簡単である。自然に床からクラッチペダルを上げてくればショックも無く自然にミート出来てスタートしてしまう。クラッチミートのポイントが判らないので、逆にクラッチを滑らせてしまっている人も多いかも知れない。


 ある時、知人の70年911Sを試運転する機会が有った。いつもの様にクラッチミートをさせアクセルペダルを踏んだ時にペダルが重い、踏力が私の911の二倍以上に感じた。その重いアクセルペダル踏んで走行させながら、どうしても4000rpm以上まで回す気になれなかった。
 知人には、そのアクセルペダルの踏力が当然だったと思うが、明らかに整備不良。微妙なアクセルコントロールなど出来るはずも無い。

 私自身、自分の911では、どのギアでもレッドゾーンまでエンジンを回してしまうが、その70年の911はエンジンを壊しそうで4000以上回す事が出来なかった。
 アクセルペダルからエンジンまでの消耗部品が全てダメになっている事だろう。T/Mの横に付いているプラスチックブッシュ、3番シリンダー前側のプラスチックブッシュも交換すべきである。
 アクセルペダルの動きが重いのなら、アクセル・オフ時にもエンジン回転がアンドリングまで下がって来る時間が長くなる。そんな車ではスムース、スピーディーに車を走らせる事が出来ない。

 
 この状況は、比較対照が存在しなければ気付く事が無く改善される事は無い。状況を把握して自らが決断して整備をする必要が有る。どんな状態に有る車なのか?
 いつまでも気付かずに放置してしまうケースも多いだろう。気付かない人には申し訳ないが、車のコンディションが良くなる事は無い。自らが、それに気付いて自分から手を出して実行する以外に方法は無い。
 行きつけのショップへ相談を持ち掛けて、老朽化した部品を交換して再生する様に見積りを依頼するのも一つの手段。

 高額な金額を投資してもショップに騙されて実りを手にする事が出来ないオーナーも少なく無い。私が知る限りで、1000万円以上のお金を掛けても700万円以上をムダに浪費してしまった車を見た事が有る。
 本人はそれに気付いて無いから、いまだに朽ちた部品をアレコレと入手しながら手を掛けているのである。仕事のストレスを趣味の世界で発散する目的であっても、趣味の世界で逆にストレスを作り出しているのだ。

 

 行きつけのショップでも、客からリクエストされない仕事には手を出さないと思え!!

 オーナーが細部に及ぶ修理依頼をしない限り、旧知のメカニックでも、客が頼まない限り余分な仕事には着手しない。善意で良かれと手を加えても、客に注文されない仕事になって、その分の報酬を請求しても 『正当に評価されず値切られる』 可能性が有る。互いに気分を害する余計なお世話と化けてしまう。
 冷静に考えて欲しい。健康体ならドクターの所へ行くのは健康診断の受診だけである。ドクターにしてみれば、いつも些細な不調を抱え足を運んでくれるのがビジネスに繋がる。今日明日に、車が完全な調子にならなくても近々のリピート仕事になれば、せっせとおカネを運んでくれる方が売上げに繋がりありがたいのである。

 80年代半ばにポルシェの正規ディーラーだったミツワで実際体験した一例である。車検の為に入庫した折りに私は全く気が付かなかったのであるが、車検整備後の引き取りの際に「ペダルブッシュがダメになっていましたので交換しました。」と言われた事が有った。
 当時のミツワでは、いつでも新車時に近い性能に近付ける整備を心掛けており、帰路の東名高速を200q/hで巡航できる状況まで、不安を抱える様な消耗部品は全て交換されていた。しかし、その時代の車検整備代金は最低でも30万円請求された記憶がある。世間ではポルシェの車検に軽自動車1台分に近い金額と言われた時代である。
 でも、それが安全安心の基本姿勢だった様な気がする。オーナー自身が気付かない劣化に対処できるショップは、専門医と呼べるディーラー整備しか無かったのである。毎日ポルシェを触っているメカニックならではの対応である。

 近年のナロー911/912のオーナーで、そんな手入れの行き届いた車を持っているオーナーは、どの位存在するのだろうか? マニアぶっているエンスー気取りのオーナーの車ほど、手入れの行き届いた車が少ない様に見える。
 塗装に拘って、ヒビ割れや退色して朽ち果てそうな新車時の塗装を自慢して維持する位なら、新車の塗装を残せる箇所を残し他はボディを劣化させる前に再塗装するべきである。ルーフ部分だけでも新車の塗装が残っているならそれだけでも自慢できる。

 巷間言われる『聞き上手』と評される人は、的確な正しい情報を聞き分ける能力に長けているので、細部に手が行き届いた車になっているケースが多い。
 逆に、他人の車を見て、あれこれとお節介の批評をする『知ったかぶり評論家』には、独自の判断基準を貫いて維持している関係から『口ほどに無い』車であることが多いのも事実である。カネばかり投入しても、実質的な「実」を結ばないのがこの世界でも有る。500万円以上を投資しても、この程度か? と言う仕上がりの車は少なくない。

 客として接客する際にも、聞き上手の人の方が、懇切丁寧に情報を提供できるし、情報料として売上げに繋がるので正確な情報を多く吸収できるのである。
 知ったかぶり批評家と話す機会が有ったとしても、自己の知識の見せびらかしになる関係から、別に私が懇切丁寧に教えなくても良いと言う形になるので、誤った情報から抜け出すことが出来ないのである。
 
 さて、情報過多の現代では、オーナー自身の耳にする情報で、それが例え間違った情報であっても正否を判断するだけの知識に乏しい。特に活字体で表記された雑誌等の記事をまともに信じてしまう事が多い。プロの専門知識とプロ用の機器が必要な整備箇所を、販売部数を増やしたいが為に、平気で記事にして素人に触らせてしまった雑誌もあった。
 その雑誌記事を読み、サンデーメカニックが知識も無いのに車いじりをすれば、結果は一目瞭然である。素人療法が招く悲惨な結果に車が可哀想である。
 車の状態を悪くしてしまっても気付かずに走らせて、自分の車は調子いいと思い込み、断言してしまっているオーナーも少なくない。

June 24, 2013


中級編 [ Part 6.]


  維持プランを作成して、先行投資を心掛ける。少しずつ手入れしなければ、「一度に全て」は困難に等しい。

 概略40年経過した911/912である。メーカーのラインで新車として作られて以来、今までに一度も交換されずに劣化した部品も多い。その代表格の消耗部品は、手が届き難い隠れた場所にセットされたゴムホース、ビニールホース類の配管部品である。
 例えば、1965〜1973年911/912系に使用されていた燃料ホースは、ゴムホースの上に木綿編みのメッシュ加工されたものが純正部品である。この純正ホースは耐久性に乏しく、劣化が激しい為、定期的な交換が必要である。
 メカポン仕様のフューエル・システムは、燃料タンクとメカポン本体間でガソリンを循環させるシステムなので、フューエル・ポンプは1時間当たり110リットルの吐出量である。これは、他の燃料ポンプと違って吐出圧が小さく、ホースに掛かる負担が軽く破れてガソリンが漏れる事が少ない。逆にそんな背景からホースの交換がされていない車が多く、エンジンが停止しててもイグニションONの時には、ポンプが作動しガソリンは流れる為に危険である。
 私は、耐圧性が高い後年式のKジェトロ用燃料ホースを安全面を重視して使っている。外径は1o太くなるが、安心感は格段にupした。


 ブレーキオイルのリザーブタンクから溢れたブレーキオイルを車外へ逃がす為のゴムホースや、ガソリンタンクの上部にホースクランプで固定されている、ガソリンタンクの内圧を調整するエア抜きのピニールホースなどは無関心なほどに交換されていない。
 ビニールが縮んで硬化し緩んだまま放置され、ただ差し込まれている状態の車も多く、ガソリン・スタンドで給油した直後にキャビン内でガソリン臭い車などは、こんな些細な原因で危険で不快な状態を作り出している場合が多い。
 取り敢えずの解決策はホースクランプを増し締めして緩みを解消する。ホース全長が縮んで短くなっている場合には、新品と交換するのがベストである。
 ガソリンタンク周辺の取り回しは、1965〜67年、68年、69年以降に大別され、68年以降は輸出国向けの公害対策が数種類ある為、現在取り付けられている配置を崩さない形で新品部品と取り替えるのが安全策である。

 燃料ホースだけでなく、車が普通に走行できる場合、『問題なし』と勝手な判断を下し見逃している箇所が多い。ブレーキホースやブレーキパイプの傷は、一般的には車検の時にチェックするが、前オーナーから車を譲り受けてからノータッチなら、部品劣化を疑ってブレーキホースは一度新品にするべきである。
 ブレーキホースの目詰まりによるブレーキトラブルも良く聞く話である。基本的にポルシェはスポーツカーである。走る/止まるを安全且つ快適にコントロール出来ないなら価値が無いと考えている。歩行者の居ない車の少ない広い田舎道でパニック・ストップを実行し、真っ直ぐに安定した停車が出来る事を確認してみるべきである。その際に左右のどちらかへテールが流れる様な状況なら、ブレーキのオーバーホールが必要である。
 ポルシェに魅せられオーナーになった以上、誰もがカタログスペックを味わってみたい気持ちがあるはず、乗る度に違和感を感じる車は自分の手で少しずつ解決して貰いたいと思う次第である。


 ドライバーズシートへ座って車をスタートさせる。1速、2速、3速とシフトアップすれば、1970年前後の「世界の名車」の中でトップクラスの加速をみせる。コーナーへ入る時には、トライバーがイメージするコーナーリング・ラインを描き、全開で立ち上がる。
 まさに人車一体の動きをしてくれる車に乗ってこそ、車趣味の核心を突くものである。ナロー911は、1970年頃の世界中のメーカーが作った車の中で、コスト・パフォーマンスの比較をすればポルシェを凌ぐ車は存在しない。


 カネを投入すれば確かにコンディションの良い車に再生出来るが、カネの無い人間がお金持ちと張り合う必要は全く無い。縁あって手元に来た車である。現在の自分の環境で、今出来ることをコツコツ実行すれば、何もせずに放置する車より進歩がある。痒いところに手を届かせるのは、オーナーの努力、日々の投資なのである。

 フューズ・ボックス内のフューズは、メーカーが指定した正しいアンペアのモノが取り付けられているだろうか? 未確認ならカバーを開け確認してみる。フューズを取外し、正しい数値の新品をセットする前に接点をコンパウンドで磨き接点の酸化皮膜を除去し取り付ける、そんな些細な手入れが40年間に蓄積した劣化を取り除き、トラブル防止に役立つのである。
 1965年〜68年には12本、1969年には16本、1970年からには18本のフューズがトランクルーム内のフューズ・ボックスに使われている。上から下まで、ポルシェが指定した正しいアンペアのフューズにセットされているのか? 一度確認して見るべきである。


情報はタダで入手できると思うな! 情報料を払わなければ正しい情報は入手できない。

 他人にモノを尋ねるのを嫌う人が多くなった。地元の商店街にある個人商店へ行けば、店員が接客に出て来て「何も買わずに帰れない」と言う心理から、大規模小売店やホームセンターへ行き購入せずに帰宅できる気楽さが好まれる時代である。

 現代のメールは確かに便利なツールである。聞きたい用件だけを問い合わせて、その回答だけを貰って満足できるからである。しかし、それ以上の発展的な関係も構築できず、印象に残らなければ自分にとってマイナスにしかならないのだ。

 ホームセンターに陳列した商品では、その商品に付随した情報は教えてくれない。個人対個人で、身振り手振りのジェスチャー交じりの商品理解と言うものは必ず必要である。

 私が出品しているYahooオークションで商品を落札し、取引詳細のメールだけの関係で終わってしまう人も少なくない。通販のカタログだけで判断して『それで良し』としている人は、本当にそれだけで良いのだろうか?
 それで良いのなら、私もそれ以上の深い付き合いもしないが、40年も前の車を事細かく細部まで熟知している人は多くないはず。時々、Yahooオークションで部品を落札した人から電話連絡を貰う事がある。
 その人に対して私は、今日電話してくれた事によって、電話して良かったと思える情報が貰えて得したよ、と応えている。アレコレ分らない細部の事まで話が出来るメリットは必ず有る。

 オークションの画面にしても、部品通販カタログにしても、一般論の説明しかしない。個々の人間特有の疑問には誰も答えてくれない。如何に自分が求める情報を引き出せるか? それは年齢に関係なく聞き上手になることだと思う。
 15年位前に、私より20歳ほど年配のポルシェ・オーナーが訪ねて来た。先方から見れば若僧である私に頭を下げて教えを請う姿勢に感銘した。正に聞き上手の典型である。
 後日、その人を良く知ると言う人物に、人柄を聞いて驚いた。そのオーナーのコレクションは、誰もが欲しがる素晴らしいコンディションの車ばかり20台位のオーナーだと言う。その方は、聞き上手だけでなく、車を見抜く目利きでもあった。
 

Oct. 5, 2010


1965−1973年の 911と長期間付き合う方法

中級編 [ Part 5.]


  購入した911をどんな形で維持していくのか?

 前回のPart 4.から、随分更新するのをご無沙汰してしまったが、ハッキリ言ってしまえばホームページの書き替えに対して熱が冷めてしまったのである。
 オーナーのレベル低下がおもな原因で、このままでは我が国から程度の良いナロー911が消滅しそうである。その位に酷い現状である。程度の悪い車を客に押付け販売する中古車業者もその大きな要因であるが、騙されて購入するオーナーの研究不足が一番の問題点かも知れない。なぜならば、中古車を売る悪徳業者に聞けば「程度の悪い車であっても目前にすると、簡単に修復出来るだろうと判断し、平気で購入していくのだ。」と言い切った。その場で見栄を張って購入する、と言う事は無いだろうが、購入する立場での研究不足が最大の原因と言うことになってしまうのである。
 そんな時には、気に入らない点を指摘して「修理して納車する場合には幾らになるのか?」確認して検討するのも一つの手である。
 見たままの現状で腐ったボディは、これは真に「貧乏人の銭失い」である。そんな車は絶対に購入してはいけない。販売出来なかった時には、部品取り車となる運命である。そんな車を修理しようとする条件としては、特別な希少価値でもない限りパスするのが最善策である。「君子危うきに近寄らず」である事を忘れてはいけない。

 名古屋が本拠地の911雑誌が元凶だとは言わないが、出版発行元の多くは裏付けの知識も無いのに知ったかぶりを活字に置き換えている事が多い。本質とは? なんて所まで追求していたら本にならないのかも知れない。死語になった言葉であるが、ミー・ハーな雑誌に知識を得たミー・ハーなオーナーは、所詮ミー・ハーから脱皮出来ないだろう。
 首都圏にあるナロー911に力を入れているショップからの話からも、私の所から部品や情報を流している取引相手であるが、オーナーのレベル低下には悲鳴を上げているのである。
 結果として、誰にもこのレベル低下には歯止めが出来ない状況であるが、今後の中古ナロー911を購入・維持しようとしているオーナー予備軍には歴史的遺産として価値の高いナローは、まず購入不可能と考えてもらいたい。カタログから抜け出したようなオリジナル・コンディションをホールドされた911は、オリジナルのハコスカGT-Rを探すよりも困難であろう。


 レベル低下に関しての例え話であるが、先日、私がYahooオークションへボッシュ製のスパークプラグを出品した時の話である。ミツワ自動車がインポーターとして輸入して、ミツワ自動車販売のセールスマンが独自の基準で特別なもてなしをしていた時代のオーナーの多くは、自車のメンテナンスは、全てがディーラー任せであった。
 そのために、スパークプラグのメーカー名すら知らないオーナーも存在していた。その頃のオーナー層は、一応、マニアを自負していた人が多かっただけにプラグの交換は出来なくても、スパークプラグの熱価を表す品番位は知っている人が多かったような気がする。

 さて、そのYahooオークションの出品の説明文を見て、多くのオーナーからスパークプラグに対しての質問が寄せられたのである。
 メカポン駆動の911のオーナーからの問い合わせの中には、NGKの5番を付けていると堂々と言い切ったオーナーも居た。 「おいおい、水冷エンジンのナロー911は無いぜ!」と言いたい気分だ。
 Bosch製のスパークプラグは、プラチナ・プラグについては、現代のスパークプラグの中でも少し特殊なポジションに存在する。まずプラグクリーナーの使用は出来ない。カーボンの堆積や燻りは、車に取付けたまま走って吹き飛ばす事が前提である。たぶん、こんな話は信じてもらえないから、正しい話が通じる事が無いと思う。興味がある人は、Boschの技術セクションへ問い合わせてみれば良い。
 何故そんなスパークプラグが純正指定されているか? 理由は明白、レーシング・エンジンの隣に存在するからである。メカポン駆動911は、全車統一のW3DP0が指定になった。これは930ターボと同じプラグである。

 ドライバーズ・マニュアルには、スパークプラグの銘柄と番号まで記載されているのだから、それ位は自分で研究し確認してくれよ。
 NGKには指定のプラグが存在しないが、換算した時にはNGKのレーシングプラグに相当する熱価であることに注意してもらいたいのである。つまり、一般には販売されていない品質なのである。
 そして、自分の車のスパークプラグが、怖くて外せないのであれば、業者にドライバーズ・マニュアルを見せて確認依頼も出来るだろう。車屋が詳しくなかったら、その車屋の取引先の部品業者へ確認してもらう事も出来るのだ。それでメシを喰っているのだから、その位は当然のことなのだ。
 
 オーナーがそんなレベルだから悪徳業者が儲かる時代なのである。全てオーナー自身が勉強不足ゆえの結果であることに気付かないのが寂しい。これは、スパークプラグだけの問題ではない。
 近年では、アメリカの部品通販業者であるパフォーマンス/オートモーションやロス郊外の日本人が経営しているショップから、独自で部品の個人輸入するオーナーが増えた。それは自分自信の趣味志向の問題であるから、それなりのポリシーを持って実行してもらえば良いことである。
 しかし、あるショップからの情報では、日本人は良いカモにされているのだそうだ。そのカモにされない様に注意すべきであろうし、常にそれに対する勉強をしなければならないのである。

 アメリカ国内では、商品価値の崩れたものや商品とならないダメージを負ったキズモノ部品は、日本からのオーダーの中に入れればクレームにもならずに処分できるのだと言う。少々の変形などは文句すら言って来ないから、日本へ送れば廃棄せずに換金出来るらしいのである。如何にもアメリカ人らしい発想に違いない。
 旧知の事であるが、アメリカはクレームに対して寛大な国である。私は、1983年頃からアメリカより部品の輸入をして現在に至ったが、今まで粗悪品を受取った場合でも、筋道を踏んだクレーム処理を行って確実にちゃんとしたものを要求すれば、先方が送料まで支払って対応してくれるのだ。
 一度も泣き寝入りをしたことが無いから、その話を聞いて日本人が如何にアメリカ人に対して見栄を張っているか?、逆に言えば舐められている事が理解出来る。個人輸入をするのであれば、クレームの仕方から勉強をしなさい、と言いたい。
 また、あるアメリカ在住の日本人からの情報では、日本から届く通販オーダーとそれに対するクレーム・レターは、アメリカ人には全く解釈出来ないレベルの英語なのだそうである。
 
 日本人の英語力は、確かにレベルアップしたと思う。海外へ旅立つ機会が多くなり、必然的に英語は必要となって来た。しかし、ここで議論する英語とは、そんな日常会話と違って、確実に必要な商業英語なのである。そして「相手も人間なのである」と言うことを常に頭に入れて置く必要がある。
 それが基礎として、全ては事務的で事が進行すれば、クレームに対するリスクは先方が100パーセント受持ってくれるから面白い。時には、こんなにしてもらっても良いのだろうか? と恐縮してしまう事もある。その蓄積が信用・信頼関係なのだ。
 別に難しい事ではないのだが、私が全てに上手く解決できるのは、私には中学生レベルの語学力しか無い、と言うことなのだと考える。当然だが英会話など全く出来ないし、ヒヤリングも出来ないのだ。
 クレームの仕方は、事実と現実に起きた結果を先方に伝えるだけで、後の事は全て先方に考えてもらえるように仕向けるだけで良いのである。

 英語に堪能な人間、英語が中途半端に出来る人間は、こんなケースのクレームが処理できないばかりか、逆にややこしくするだけで解決の糸口を自ら壊してしまうのだと思う次第である。
 英会話が出来るとは言っても、日常の英会話の基礎だけである。日本語を喋るようなレベルで会話が出来るものでは無いし、全ての言葉が理解出来るものでは無い。勉学世界の英語力と、生きた日常会話の世界での英語力の違いに気付くことが無いのであろうか?
 僅かな語学力のレベルに対して、理解も出来ないのに理解したような素振りでカネを支払ってしまったバブル期の日本人である。バブルの後遺症でもある相場の高騰と現在でも残る相場の原因は、全て日本人の作り出した金持ち大国日本の「張子のトラ」の真の姿である。そのイメージの残る部分が、前述の商品価値の低い欠陥品を日本人へ売り付ける対応になってしまったような気がするのだ。
 

 さて、本筋の車の維持についてであるが、購入した車が文句無く程度の良い車であれば、全く問題無い。しかし、近年のオーナーは、自己の物差しで計って、勝手に判断する「程度が良い」であるから始末悪い部分もある。この辺りは認識を改める事が難しい様である。
 例えば、走行中シフトアップする際に次のギャを探す事無く、スピーディ且つスムースにチェンジ出来るだろうか? このスピーディもスムースも考え方の尺度が違えば水掛け論となるが、シフトアップ時には「クラッチ・ペダルを踏みシフトアップし、再びクラッチを繋ぐ」この一連の作業が、遅くてもコンマ5秒以下で完了するならば問題は無い。
 この時に、シフトレバーでシフトラインを探す行為をしたり、シンクロ不良に因るギャ鳴りを発生するような場合には、オーナー自身の腕が悪いか、車のメンテナンス不足である。この状況をどう解釈するか? それが問題だ。
  あるオーナーからの回答で「購入した時から、初めからこの状態でした」と言った人もあり、「ポルシェのシフトはこんなものだろう」と疑う事もしないオーナーも居た。疑問に思わないのか?
 ポルシェの動力性能から言えば、いつも、その時代のトップリーダー的な存在である。そんな性能を誇る車の駆動系操作部品に、性能的にマイナス作用するようなシステムは考えられない、と思わないのであろうか?
 それの判断力の差が、911ライフを堪能できる人と、中途半端なクルマに見切りを付け手放してしまう人に明暗が分かれる。ポルシェの悪いイメージだけを残して・・・。

 貴方の購入したナロー911は、30年以上前の老体である。機能低下は確実であるから、正しい部品を正しく取り付けてリフレッシュする時期が来ている事を忘れないで貰いたい。

 既に購入してしまった車なら、次のステップで何をすべきなのか? 時間を掛けて充分考えてもらいたい。その車に対して、これから補修資金を投入する価値があるかどうか? 付き合って行くか、見切りを付けるか、二者択一の判断だ。
 価値があると判断したクルマには、めざすゴールは2通り考えられる。オリジナル・スペックにして、カタログから抜け出したような姿にして行く方法。もう一つは、自分の好きな形に部品を取替えて乗り潰してしまう方法である。

 前者の選択は、現状でオリジナルの部品がどれだけ付いているか? 詳しい人に見て貰って、判断して貰うのがベストである。欠品している部品が入手困難な部品である事も近年では良くある話なのだ。
 中古部品の程度の良いものであれば、アメリカで探して入手する方が、割と簡単で現実味のある方法なのだ。(一部の部品は中古でも入手出来なくなったものがあるが)
 この方法でオリジナルに徹する選択をした人は、めざすゴールが現実に見えるから特に問題は無くなるだろう。

 後者の選択をする場合、オリジナル部品を取外されて、既にカタログ写真のスタイルを留めていない車や、数多くの使用可能なアフターマーケット部品に取り替えられた車を購入してしまったら、オリジナルに執着するには一度売却してクルマを買い換えた方が最善策である。
 自分の好みの車にするのなら、インテリアの内装部品を全て取り払って鉄板剥き出しのストリップダウンも良かろう。走行中はかなりの騒音が車内に入ってくるから同乗者に嫌われる事は言うまでも無い。(一度は同乗してくれても、その車の居住性を体験したら二度と同乗してくれなくなる事は間違いない。)
 ロードカーとしての911に多いのが911Tを購入して73年のカレラRSルックに改造された車や、外観をいじらずにエンジンだけ2.7リッターへボア・アップされた車も多い。
 これらの車を所有するオーナーの大多数は、ポルシェがプロダクションカーとして世の中に送り出した新車時の性能を知らずに、理解しようとする気も無く、その場しのぎのチューニングをしてしまっているから、最終ゴールが見えなくなってしまう。
 ただ単純に速い車へと仕立てることに集中する関係から、最終のゴールを見失っていつまでも満足出来る車になって行かないだろう。ただ速い車を求め続けて、体感フィーリングよりもストップ・ウォッチのタイムの速さだけが気になる事であろう。

 どちらも趣味の世界であるから、トヤカク言う立場ではない。好き勝手にしてくれれば良いのだが、後者を選択する事により、この世の中からまた一台911が姿を消して行く事になる。そして、オリジナリティの高い車が価値を一段と高めて高価な高値の花になって行くのは、言うまでもない。

  最近のナロー911オーナーに見られる「気になった事」

 この頃気になる事に「オーナーの独り善がり」が強く感じられる。コンディションの悪い車を掴まされる事もそうなのだが、欠品部品を補うにあたり、手当たり次第にショップへ電話する傾向が強い。
 部品を探す事自体は悪くないが、問題はその姿勢である。一軒のショップからの結論を待たずに、手当たり次第に心当たりの複数のショップへ電話して、同じ部品を問い合わせるのである。連絡を受けたショップでは、仕事の一環として、お客様から「どうしても欲しい」と言われると同業他社の繋がりを使って探すことになるが、経費を使い苦労しながら見つけ出しても、結果として、「他のショップにあったから購入したよ」と平気で言うオーナーが多過ぎるのである。
 これは、今後のことを考えずに、その場だけ「良ければイイ」と考えるオーナーの姿勢であり、次に同様な形で部品に困ってショップへ電話した時には相手にされないハメになる。

 こんな問い合わせには私も消極的である。私の苦い経験であるが、以前、アメリカのショップへ手当たり次第にエアメールを発送してスポーツシートを探した事があり、複数のショップから多数見付かってしまった事があった。
 これには正直に困った。そのまま、音沙汰無しのだんまりを決め込んでしまっても良いのである。しかし、次回からレア物パーツを探す時には協力が得られなくなるのである。その場の結論として、苦渋の選択が自分の懐具合と相談して複数のシートを輸入すると言うハメに陥ってしまったのだ。

 その結論から言えば、その時の行動が後日の信用に繋がったと言えよう。コネが出来ていろいろなレア物部品を探す折にも協力が得られるようになったのである。

 昨今のオーナーからのそんな問い合わせには、必ず複数のショップへ連絡している事が多く、都内のショップや首都圏のショップから、同様の問い合わせがよく届く、逆に深く追求するように聞き返してみれば、同じお客様が問い合わせたものである事がバレバレなのだ。
 この趣味の世界は、個人が考えているよりも狭い。自分だけ良かろう、と思っても、すぐに話が繋がるのである。結果は目に見えている事を忘れないで欲しいものだ。
 それぞれのショップから見付かった部品を全て購入して信用低下を防ぐか? 各ショップが自己判断するブラックリストの中に仲間入りしてしまうか? どちらかの選択となるのである。
 度々こんな事をすれば相手にされなくなり、困った時に親身になって相談に乗ってくれる業者は全く無くなるのである。


 この部品探しとは直接関係ないが、近年の部品単価が高騰している。特にナロー911に関する部品は格別である。大きな理由としては、メーカーのサポート姿勢が変わった事にあるが、小ロット生産による対応だけが救いの手である事に間違いない。但し、非常に高価である。
 5〜6年前に1万円程度の価格だった部品が、2003年10月に調べたら3万円を僅かに切っているレベルの価格になっていた。この2000年以降の金額は、再生産をした部品の単価に対してこの有様である。
 それを高いと判断するか? 安いと判断するか? それは各個人の物差しに任せる事にする。しかし、単品で特注する事を考えれば、その金額はお買い得な良心的な感覚となる。
 新車の乗り味を追求する硬派のお客様には、必要不可欠の部品なのだから。そんな事情もあって、オーナーが無闇矢鱈に手当たり次第に実行する部品探しは横行する時代であると思う。
 探すのは勝手であるが、その探し方とショップとの関係維持を良く考えた上で行動して欲しい。全ての態度が「人格評価と人間性の問題」に繋がるから、心して探してもらいたいものである。

一部更新 Jan.20, 2004

Nov. 2, 2003


1965−1973年の 911と長期間付き合う方法

中級編 [ Part 4.]

  911に対する熱意と意思、教えを請う姿勢

 最近時々感じるのであるが、ナロー911に対する熱意を持った硬派が少なくなってしまった。私のビジネスの基本姿勢「店舗を構えない方針」によって、訪ねて来るお客さんの傾向は極端に硬派のオーナーになってしまう。
 今は中途半端な軟派でも「硬派を目指す人を拒むものではない」が、残念なことに、どちらかと言えば、軟派の人とは話が合わないように思うのも事実である。

 こんな事を書くと「ナローに拘る人は偏屈で気難しい人が多い」と言われてしまうであろう。しかし、このポルシェ好き・ナロー911の世界で、それを断言してしまうほど気難しい人が多いとは思えないのだ。頑固な人は多く、それは社会での経験を裏付けする一石な人は多いのは事実だが。

 例え話にならないかも知れないが、私がインターネットを始めた1997年頃のパソコン業界は、もっとそんなイメージが強かったのである。正にオタク集団に感じたのだ。パソコンを触る人・イコール・ある程度の語学力と基礎知識を持った人、と言うような風潮であった。
 全く知識の無い私には、全てが初めて見るものであり、トラブルに対処する方法すら理解出来ないものばかりであった。その道のエキスパートのような連中は二十歳から三十歳前後で、まるでわが子のような年齢である。そんな若い世代に対して教えを請うのであるが、教えてもらわなければ私自身が損するのである。分りきった事なのだ。

 他人にものを尋ねる。これは口で言うほど簡単なものではない。教えを請う相手が例え若くても「先生」であり「師匠」である。頭を下げて「教えて下さい」とお願いをしなければ教えてくれるはずが無い。
 如何に多くの知識と情報を引き出せるか「真剣勝負の世界」と考えた方が正解と言えるものだ。自分にとって、より多くの役立つ情報を得る為の環境を作り出す事が上手い人は、どんな世界であれ、才能を伸ばせる資質を持った人であり、大成する人なのである。逆にそれが下手な人は、いつまで経っても成長出来ずに現状打破すら出来ない、すぐに断念してしまって、悔し紛れに人を批判して「偏屈で気難しい」と結論付けるのだ
 マイナス要素はマイナス面しか呼び寄せない事を悟り、自己啓発して脱出を図る努力が必要なのである。

 結論を言ってしまえば「聞き下手・訪ね下手」のお客さんがあまりにも多い。世間一般ナローに拘る人が気難しいのではなく「聞き下手・訪ね下手」の訪ね方が悪いのである。人生を生き抜くための基礎でもあるので、ノウハウ的な基本姿勢は自身の努力で見つけてもらうしか打開策は無い。
 上手に訪ねる事が出来た時には「師匠」と崇める人から情報が10得られると仮定すれば、下手な訪ね方をして2〜3の事を渋々教えてもらうよりも確実に良いのである。
 どちらが得するものなのか? 言わなくてもわかるであろう。世の中「社会」に出てからの行動は全てが自己責任である。


 話をポルシェの世界に戻す事にする。今、世間に多く見られるのが、ポルシェの看板に騙されて虎の子のカネを巻き上げられてしまっても「騙された事に」気づかない人が多い。傍から見ればカネを投入しても全く実る事が無く、只々ムダ金を使わされてしまった人が多過ぎるのである。
 良くあるパターンだが、技術の無いショップの口車に乗せられて、段々と車が悪くなって行くのを見かける事がある。理論を良く考えれば気付くことなのに、いつまでも同じ事を繰り返しながら教訓の蓄積を全くしない人は、正しい道を案内すればするほど反発を買い地獄の深みに嵌ってしまう。世間的に高尚に見られる職業に就いている人ほど、他人の忠告に耳を貸さず一向に進歩しない趣味の世界を楽しんでいるかの如く、地獄の中を右往左往しているのだ。私のお客様の中にも数名いる。この頃連絡が無いところをみると、正しい忠告に気分を害し嫌われてしまったのかも知れない。

 嫌われても構わないが、真実は真実なのだから仕方ない。今よりも良くする気持ちがあるならば、他人の正しい忠告ぐらい判断出来る姿勢を身に付ける事から始めなさい。講釈言うのは自分の知識が正しいと裏付けされるように勉強してからなのですよ。適材適所、そして適価適時間、適技術で車のリフレッシュや補修は完成するはずです。いつまでも進歩が無いのは、誰が見てもどれか欠落しているからなのですから。
 他人が稼いだカネだから、勝手に使う事を止める事は出来ませんが、注ぎ込んだ金が成果となって反映するような投資をしてください。アナタが信頼しているショップは適価適技術を持って、投資金額に応じた成果が体感出来る車作りをしてくれる、そんな人達ですか?

      ポルシェは特殊な技術を必要とする車ではありません。ひとつの工業製品なのです。

 

     最近ちょっと気になった事

 ポルシェ仲間だけではないが、同じ趣味の世界や目標を目指している仲間に「親友」がいると断言する人も多い。でも、本当の友達関係なのだろうか? 私はちょっと否定的だ。理由は「利害関係」の上に成り立っていると思われるからである。
 世渡りの上手い人、下手な人。儲け方の上手い人、下手な人など、人さまざまである。同じ車を所有し同じ方向性を持って和気あいあいの付き合いが出来る、本当なのか?
 和気あいあいな交流が継続しているときには問題無いが、例えば同じ部品を探していたとする。努力上手な人、運の強い人は、レア物部品を簡単に入手出来てしまう事がある。逆に苦労の甲斐なく、色々と探しても全く入手出来ない人もある。ここに不平等な「運」の世界があるとすれば、いかがであろうか?

 そんな場合でも平穏に友達付き合いと言う関係が維持出来れば良いが、悔しさ、嫉妬、自己嫌悪などの感情が芽生えるのならば、それは友達付き合いに支障をきたす火種になる可能性がある。
 私は社会人になってからの親友は出来難いと考えている。会社に同期で入社して親しい付き合いをしていても、上司の評価、出世のスピードは人それぞれである。そんな時にも「羨ましい」と言う感情が生まれなければ、その人とは親友と呼べる付き合いが出来るだろうが、所詮ひとつの目標を目指すライバルである。現役を退いた時点で親友付き合いが可能かも知れないが、現役時には相手を引き摺り下ろしても自分が優位に立てるような振る舞いをするのが本当の姿だと思っている。
 そこに利害関係が存在していても、利害関係が無くなる日が来るまでは利害を強く意識した付き合いが当然だと考える。

 真の友達と言えるのは、その人に対して献身的になれるか? どうか? だと思う。見返りを要求しない献身的な愛を持って付き合う事が出来る間柄で。


Dec.18, 2002


中級編 [ Part 3.]

  レストアされた車に隠された事実  

 2000年を迎え、この2年間に73年のカレラRSに絡んだ仕事を2件引き受けた。どうも私は車に裏切られるような巡り合わせ運が強いのか、そんな境遇の運命に祟られたカレラRSしか入庫して来ないのである。その2台ともに、見た目「コンディションの良い車」だというのがファースト・インプレッションだったのであるが、実はどちらもボディショップの「手抜き」や「ずさんな仕事」である事が判明した。
 10年以上の付き合いになる「好意的な協力者である」板金のプロが、細部までチェックして板金の誤魔化し手口を含めた手抜きの方法を教えてくれる。彼との「利害関係が無い」と言うのはウソになるが、職人気質の強い人で仕事欲しさの安請け合いはしないし、コツコツとこなす納得の行く仕事ぶりを知っている関係から、営業の時間外に批評をしてもらうようにしている。

 その2台のRSはどちらも「ツーリング」モデルで、後日調べたところによればプロダクション・データから共に、オプションのスライディング・ルーフ付きモデルであった事が記載されていた。
 しかし、現オーナーの手元に来る以前の歴代オーナーの誰かによって取除かれたルーフの補修は、瞬時にその事実を想像させるほどの仕事の仕上がりでは無く、一見して見抜けるものではなかった。
 一応熟練した職人技である。じっくり時間を掛けたチェックの中で、車の雰囲気と佇まいの不自然さからルーフに補修痕が見つかると言う程度であった。素人には発見し難いプロの仕事ぶりと言える仕上がりなのだ。何処と無しに「何か雰囲気」の違う違和感が、客観的な眺め方をした時に見えて来る程度のものであった。

 「チョークとミトン」はポルシェA.G.の板金部門の職人がボディ・チェックする有名なツールであるが、最初からその方法を使えば、どんな車でも簡単に見抜けるものだったかも知れない。お客様の車に対していきなり粗捜しをしてしまったら、当然オーナーの気分も良くないし不快感が伴うものである。また、不必要なチェックは予定外の出費を催促する事にもなる為に普段は消極的な立場で口出ししない分野である。

 先の車に関しては、オーナーの知人から依頼された仕事で予備知識的に説明を聞く機会にも恵まれていたので、ルーフ部を修理した板金業者の仕事風景を想像する参考知識として役立ったが、この車には仕事の最後にとんでもない落とし穴が待っていたのである。
 オーナーはサン・ルーフが取除かれた車を購入し、後日ルーフ部全体を作り直したことを聞いていたので、一般的なまともな仕事ぶりならばその出来栄えを推測することが可能な為、仕事依頼の内容としては簡単に施工して片付くものと考えて予定を組んでいた。
 まさか予定外の落とし穴が待っているとは知らず、私と外注依頼した職人さんで仕事の完成を目指して進めて行ったのである。フロントガラスの取り外しは、いつものようにウエザー・ストリップの縁をキャビン側から少しずつ押し出して行き、ほぼ全周の縁を押し出した。しかし、意に反してガラスは外れる気配も無い為、その理由がコーキングの密着性によるものだと察しガラスを割らずに取り外す事だけに専念していた。
 この時は全くボディの歪みが原因であるとは知らずに、また、通常よりもコーキングの量が多いのでクリーニング除去するより、ウエザー・ストリップを交換する決断で部品の手配をする事にした。後悔先に立たずとはこの事だった。ガラスを取り外した時に、何故外れなかったのか? 確認して原因の究明をする必要があり、私はこれを怠った為に後日ガラスのはめ込みで一苦労する窮地に立たされてしまった。

 ボディの異変に気付いたのは、ヘッドライナーと骨、カーペットの取替えを含むインテリアのリフレッシュを終え、リヤガラスをはめ込み、いざフロントガラスをハメ込んで最終仕上げと言う段階だった。
 そこまで進めた段階でフロントガラスが装着出来ず、ホディ寸法を詳細まで計測し直した時、メーカー公表値の開口部が何と7ミリぐらい不足しており、足らない寸法をごまかす為にジャッキでルーフを持ち上げ、ガラスのハメ込み完了後にジャッキを取除く、と言う手口で仕上げられていたのだ。
 この方法が合法か、非合法か、の議論をすれば、非合法であるのは明かである。ウェザーストリップの新しい時には支障なくても、ゴムの劣化による硬化が進むと走行中に突然フロントガラスにひび割れが起こったとしても不思議な話ではない。++++++++++++++++++++++++++++++++++++こんな処理をされてガラスが取り付けられている車が現実に存在している事に恐ろしいものを感じたのである。走行中に脱落する可能性、ひび割れによる恐怖感を味わう可能性は否定出来ないので、修理を依頼する場合には、しばしば作業中に足を運んで職人さんと直接コンタクト出来るボディショップを選択する必要がある。

 このカレラRSは私の関与から離れて、事情を知らないボディショップで修理され納車されたと聞いた。メーカー設計値から7ミリ低くルーフを作り直されているから、それを修正した後のルーフラインは911の基本シルエットとは違うルーフラインと化しているはずである。
 このホームページ訪問者で、これから1973年カレラRSをこれから購入したいと考えている読者は、充分なチェックを重ね、後悔しない車を購入してもらいたい。こんな車もあるのだ、と言う事を覚えておいて欲しい。(つづく)




「本物?を嗜好」するのでなく、「本物志向」であれ!

 最近になってナロー911を購入したオーナーと話をすると、ナロー・オーナーの精神的な質の低下が目立つ。誰、と言う個人だけの問題ではなく、全般的な傾向として気になるのである。
 それは、ポルシェと言うブランドだけではないのかも知れないが、私のビジネス分野としてのポルシェだから、気になる事が多く、強く感じるのも仕方ない事なのであろう。

 「志向」の言葉を紐解いた時、意味は(目標に向かって)目指す事である。ナロー911に乗るオーナーの目標は、この場においてはレストアをして新車のような状態を復活させる事であると解釈する。
 近年になってからポルシェを入手した人達の多くは、新車の香りのするような状態とほど遠く、中にはこんな車をこれから「どんな形で維持するの?」と維持していくプロセスも難しい車を購入してしまったオーナーも居る。
 新車からそれほど年月を経過していない時代なら、それぞれ購入した車は今ほど状態が悪くなく、その車をオーナーが理解した上の「好んで」ポルシェを購入した、と言う、文字通り本物を好む「本物嗜好」であったと言える。(注意…「本物」に対して「嗜好」と言う熟語をくっ付ける言葉の使い方は聞いたことが無いから、実際にはそんな言葉は無いはずである。)

 近年の中古市場に出回るポルシェでは、それだけ程度の良い中古車は少ないのでオーナーは苦しい環境にあり、維持することも難しい状態である。増してやレストアを志すことは「並大抵の苦労」ではなくなるのである。この状況下ではナロー911の形をしている車を購入した、と言っても、新車に近いコンディションではないので、あえて「本物」と言う表現を避ける。意味合いから表現すると、その新車時に近い状態「本物」に向かって努力をしなければならない「志向」の気持が必要であると考える。

 回りくどい表現となってしまったが、賞味期限切れの商品を購入し、それで満足をしてしまっているオーナーが多いのである。一応ポルシェのバッジが付いている事で「ポルシェの本物」であることには違いないのだ。しかし、それは「本物」に見えるが本来の性能を維持できていない車である。それを購入して喜んでいる愛好者を私は「本物嗜好」と見た(見下した意味で)。その状況で満足してしまったら進歩はない。
 この「本物嗜好」の状況から「本物」を復活させるべく立ち上がらなければならないのである。本質としての「本物」を目指して努力する「本物志向」でなければいけない。一つ一つの部分を新車に近い状況に戻して行く勉強と努力に情熱を注ぎ、趣味をまっとうしてもらいたい。

May 23, 2002


以下は前回までのバックナンバーです。


1965−1973年の 911と長期間付き合う方法

中級編 [ Part 2.]

  レストアを軽く考えていないだろうか 

 ナロー911のオーナーでレストアを計画中の人は結構多いと思う。近年になってから入手した人は「レストアを考える、レストアに興味無し」が二分するが、これはオリジナルに近い車を入手するか、どうかに左右される。しかし、レストアの熱意に溢れているオーナーも良く見かける。中には「レストア済みの車だから購入に踏み切った」と言うオーナーもちらほらと聞く。
 しかし、そのオーナーの大半は高価な投資金額にも関わらず、その仕上がりに対して必ずしも実を結んだ完成レベルに達していないのが現状である。

 レストアの方針は各個人の考え方によりその展開は実に様々なものである。しかし、その最終目標と到達のポイントは新車当時のスタイルと同一のものであるはずだ。
 最終目標が決まっていたとしても何等かの理由によって新車当時の形にならなくなってしまう事がある。それが部品の入手調達であったり、投資金額の予算問題であったりするのだが、一番大きな誤算は車のボディ・コンディションに因る予定外の出費である事が多い。入念なチェックは勿論の事、予算以外の予備費として2〜3割の余裕を残しておく必要もある。それでも満足な準備と言えないのである。レストア予算として大雑把な表現をすれば、ベース車両を除き1000万円かかると見た方が良いかもしれない。

 自分自身の手で実行するレストアをライフワークとして考え計画すれば、部品の入手調達は出来る限り早い時期から着手して短期間で終了させるべきで、部品単価の安い時点でかき集めた方が良い。逆にレストア作業の工程は焦らずに長時間かけてのんびりと進める予定の計画をする必要がある。仕事上、時間を長く必要とする箇所は職人の技術に左右されるボディ、シャーシー関係なので大義的に見ればレストア・イコール・車体修理と見て間違い無い。これは焦って雑な仕事をされるよりも良いだろう。
 部品を短期間調達する理由として、ナロー911の部品はメーカー在庫や供給ルートの在庫が近年目覚しい勢いで減少している事にある。その多くが再生産をしないであろうと予想される部品の数々であり、短期間のみ製造された一部モデルの為に供給されていたものが多い。メーカーとしてもコスト的に採算の合わない部品であれば製造廃止、供給中止で処理したいのである。中にはバックオーダーとして受注してくれる部品や再生産予定の部品もあるが、現在の価格を維持して供給されることが稀である、2倍、3倍の価格になってしまう事が過去に何度もあったので入手出来る時に購入する覚悟で予定してもらいたいのである。
 レストア作業期間については、短期集中の作業が出来ない訳でもないが、取りはずした部品を再使用するのであれば入念慎重に原形を保持し、歪みを残さない状況で仕事しなければならない。特にボディパネル等はボディ・ショップの対応による理由があり、新品と交換するより切り繋ぐ手間がかかっても新車から使用中のパネルを再使用すべきである。手間がかかる分を時間でカバーするようにしたい。
 作業時間をたっぷり取ればパテ盛り部分の乾燥も充分で、きめ細かな仕上がりを希望するならば時間をかけたチェックが出来るゆとりもほしい。

 レストアの充実度とか満足度は、一般的にレストア後のインテリア、エクステリアの仕上がり具合いを見て判断をしてしまうのであるが、重要ポイントは目立たない影に隠れた所で分解しなければ見えない骨格部分にある。新車デビュー30年前後を経過したナロー911のボディは、当時の防錆処理を今日の技術レベルと比較して見れば子供騙しの様なものであり、特に60年代の2リッター車は半年に一度サビ止めしてやらないと鉄板に赤錆が出現し始める様な状況である。
 それが当然の常識として理解する良識人ならサビの出現も腹立たしい思いではないが、今日の防錆技術しか知らない世代のオーナーには、サビの出現は耐えられない出来事である。それが直視出来る部分でそのレベルであるから、見えない部分の防錆処理をイメージしてもらえば今更説明の必要も無いはずである。
 ところが目に見えない部分には興味が無いのか、現実には上塗り塗料だけに拘っている人があまりにも多く、グラスリットとかレゾナール製のペイントを指定するが、何故そこまで塗料メーカーを限定するのか全く理解出来ないのである。( ペイントの世界にソムリエが存在するのであれば会って話が聞きたいものだ。) 私は日本国内で走らせる車には、日本の風土、気象条件を熟知している日本ペイント、関西ペイント等の国産品がベストマッチだと考えている。国産のペイントメーカーの塗料では911の塗装が出来ないのなら別の話であるが。 

 レストアを個人レベルで考え、レストアが出来る環境やその状況下で見た時に、「他人がレストアした車を購入する場合」や「レストア全てをお任せ」で安請け合いをする様な業者に対して不安は無いものだろうか半信半疑である。その仕事ぶりの詳細を知らなければ「自分の目でチェック」するにも難しく、その場だけ美しく見える仕上がりのレストアを、手放しで信用してしまうことになる。
 きれいなペイント、美しいインテリアを着飾っていたとしてもシャーシーの中がボロボロと言う事もあり得るし、半年後に欠陥が露出して泣き寝入りさせられる事もある。それが現実論のビジネスとして割りきった仕事の姿である事が多い。俗に言う「中古車屋の販売目的の全塗装」なのである。
 「他人任せを信用するな」とは言わないが、錆や腐りの箇所を見つけても手間と時間を利益とのバランスにかけて「見て見ぬ振り」を実践してしまうプロも多い。要は金と時間による利益次第であり、1ケ月間の売上げを基準に仕事する業者の方が多いことも否定出来ない。
 じっくり腰を据え依頼先の会社や人物そして仕事で入庫する車と仕事の内容を研究する。その際の先方の規模、設備、知識等も把握して自身のこだわりと情熱を伝えながら作業内容の説明をする。高望みと理想論、耳年増的知識は逆効果であるので要注意だ。職人気質をマイナス面に働かせてしまう結果となる。人の話に耳を傾けてくれる好意的職人さんならラッキーであるが、必要なのは相手に届く情熱、熱意の伝達だ。
 30年前の新車で当時の雰囲気を希望するオーナーの志は、現代の車を相手にしている職人さんに熱意を正確に伝えられているのだろうか問題である。これはボディにも、内装にも言える事なのだが、現実問題として職人サイドから見た時に、依頼主の思い込みだけが強く「誰に頼んでも同じ仕上がりが出来るものだ。」と考えており、仕事を実行する上でのこだわりや詳細に亙る指示を含めた熱意が伝わっていないのである。そのハードルをクリアする努力こそ、自分の車を思い通りの仕上げにするポイントとなる。
 街角の職人さんは毎日種類の異なる車を相手に仕事をしている為に高級車から大衆車まで幅広く知っているが、オーナーの希望や個別の特徴まで把握していないので、依頼主の要求通りの仕上がりを期待しても99%無理なのである。

 オーナーの監理下でレストアする場合、職人さんへの他力本願でオーナーの熱意を具体化した形を表現してもらうことになる、また、オーナーは各自でレストア学のプロセスを勉強し、プロの話す仕事の内容について条件反射的な理解と想像が出来なければならない。そこがいかに職人さんの持っている技術を最大限に引き出す事が出来るのか、職人気質のプライドを傷つけることなく、どこまで実力発揮の世界を作り出す事が出来るのか。それの出来る人は満足度の高いレベルで良い車が仕上がり、それに失敗した人は高価な割りに実りに欠ける出来映えで、その結果は歴然の差となって現れてしまう。これが現実の話である。

「レストアとは、職人さんに金を支払って自らのこだわりを理解してもらう事」

と単純な解釈をしておいた方が無難な世界だろう。




 私の取引している職人さん達は皆、職人気質の頑固な人達である。世間に数多くの同業他社が存在する中、誰でも良かった訳ではない。私にとってお付き合いし易い相性は当然の条件であるが、私との付合いの中で私の要求を理解してもらい、限られた条件下でベストな形態で解答を出してくれる人達なのである。勿論、私の要求する姿を具体化して表現出来る事は言うまでもない。
 しかし、このブレーンが一朝一夕に出来上がった訳ではない。金銭の授受だけでなく、積み重ねたリクエストとその反応から徐々にナロー911の持つ雰囲気と詳細を高めて、技術的な分野に関する私の要求が具体化出来る的確な方法をアドバイスしてもらいながら、先方の持てる能力を最大に引き出してレストア出来る環境作りを心掛けてきた結果である。
 お客様から見れば、この場合の私はコーディネーターとなる。お客様の希望する条件を職人さんに伝え、お客様の満足出来る形を作ることが主目的である。
 私とお客様との打ち合わせの場では、私の役目はお客様の考えと希望等の条件を全て聞くことにある。そして、私からお客様には、希望条件に対するレストア箇所の再現の難しさを説明したり、再現困難なものについての回答を理解し易く解説した上で、仕事を任せて頂いている。




 私自身は、以前よりレストアと言うものに対しての考え方に偏見があり、巷で使われている「レストア」と言う言葉の表現方法が間違った使われ方をしているのではないだろうか、と考えている。
 「レストア」、「リビルト」、「リフレッシュ」と3種の同義語が存在するが、車の再生について語られる時の使われ方がハッキリとした境界の無い物でごちゃまぜの世界である。

 私の大いなる偏見で分類すると、以下の様な内容で大別するのが妥当であると考えている。
 細かく分類しても話がややこしくなるので単純にレストア行為と表現するが、私がレストア行為に対して悲観的なのは次のような理由である。
@レストアしてもメーカー以外の設備では新車時に匹敵する強度を再現する事が出来ない。。
A自動車メーカーが大量生産で作り出した工業製品のレプリカ部品を製造するについて、クオリティを含めた性能を満足させるには小ロットのコピー部品で模造する事が不可能である。
B自動車メーカーが製造するに当たってアセンブルした部品や組立に携わった工員の主観が車作りには感情移入されていないが、レストア作業にはオーナーやレストアする人の 「こだわりや主観」 の存在があり、出来あがった車にそれら概念の感情移入が認められ、新車時の状態とは違った別の工業製品となってしまう。
上記3件の要点は忠実な再現を要求すればするほどマイナス面が大きくなり難しい問題となる。
 世間一般にレストアと称する作業は「リビルト」か「リフレッシュ」行為であって、生誕30年を迎えた車で「レストア」 コンディションを維持している車は片手に満たないと見て間違い無いだろう。。

 私はレストア行為を 「新車で購入する事が出来なかった腹癒せ」 だと解釈している。新車で購入したオーナーは、自らの行動から老朽・劣化した自分の車をリフレッシュすることは無いだろう。周囲にレストア好きのブレーンが存在するなどに因って実行する可能性はあるが、自分の意思でそんな非効率な仕事をする事が考えられないのである。
 レストア行為を志すオーナーは、その車のその分野において、何処の誰よりも詳しく調べ上げて勉強する必要があり、狭い範囲での奥の深い雑学を独学で身につけることが必須条件である。近年では、情報収集する時に詳しく知っている博学な人物の存在が少なくなってしまったので、足で行動する労力と大きな経費の投入を覚悟する必要もある。
 前述の私の偏見概念の世界で分類するリビルト、リフレッシュならば、数多いコンプリート・パーツの設計強度・性能まで要求しないので実現可能である。なぜならば、車の価値の中で経年劣化によるガタ、ヘタリのチェックが非常に難しく、特にシートのクッション弾力やサポート・ホールド性能のスペックがメーカーから公表されておらず、修理、修正の復元レベルの把握が出来ない事にある。常に「今の劣化した状況より良いだろう」のレベルで補修しているのが現実だからである。

 以上が厳しく言及した場合のレストア行為である。美しく仕上がったナロー911を見てボディ内部の腐りやサビを追及する人は僅か一部であるが、多くの人達は遊びの世界で自己満足すれば良いのだからそれ以上の要求をする必要も無いのである。
 また、自身の車が今どんな状況にあるのか、他の車と比較してどんなレベルであるかを把握する努力すらしていないオーナー諸氏が多いなかでは、「研究しましょう」とかけ声をかけてもムダな労力で終わってしまうのではないか。また、他人の車を見て「金のある人はいいよな、何でも出来るから。」とか「金さえ出せば程度の良い車が買えるさ。」と妬み僻みの嫉妬心だけ一人前の人が存在するが、努力する人は常に努力しているし、その素振りを他人に見せないだけなのである。世の中はそんな甘いものではない事を勉強してもらいたい。
 金持ちでも貧乏人でも、何かを実行する時これは断言出来る。「自分が他人に仕事を頼んだ時、実りのある結果となるか? ムダ金と化して実りに乏しくなるか? いずれの場合でも支払い総額は2割〜3割しか違わないはずである。手抜き工事を平気で実行する業者もある事を肝に命じて、依頼先、投資先を間違えるな ! 」 

Jan. 10, 2000


Jan. 10, 2000更新7

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